INTERVIEW
2024/10/16

地域に眠る資源を「価値」に。南信州で“食”を軸に地域を駆け回る折山さんが思い描く「誰もが安心できる場」とは?

PROFILE

折山尚美 ー合同会社nom 代表社員ー

長野県飯田市

conomichiと長野県飯田市のコラボレーション企画「里山LIFEアカデミー」。10/16(水)に開催される「里山LIFEアカデミーvol.5」のオンライントークセッションでは、イタリアにて食文化に関する起業家として活躍する齋藤由佳子さんとともに、「里山」×「食の循環」を軸に、3000m級のアルプスによって囲まれた伊那谷という独自の環境で育まれた食文化を読み解き、まだ発見されていないガストロノミーの可能性についてお話しいただきます。

南信州で食と場づくりのキーパーソンとして知られる、折山尚美さん。地域に根を張り、外から訪ねてくる様々な人を受け入れているので、南信州出身かと思いきや、実は新潟県生まれ。 

 

そんな折山さんは結婚を機に南信州へ移住し、10年間の病院勤めを経てカフェ&エステ「fukuume」を立ち上げたのち、飯田市内で4店舗の飲食店経営やシェアカフェ「テンリュウ堂」のプロデュース、 古民家や文化財の活用など、地域活性にまつわる幅広い活動を生み出しています。 

 

2023年2月には「私によくて、地球にイイ」をコンセプトに掲げる  合同会社nom を設立し、「土に還る」をコンセプトに地域資源を活用した事業を展開。 

ご自身でもプレイヤーとして第一線でさまざまな活動に取り組みながら、地域で挑戦したい人のサポートにも力を注いでいます。


元お土産屋だった築100年の古民家を改装し、シェアカフェ「テンリュウ堂」」としてオープン(立ち上げの経緯は こちら )。現在は別のプレイヤーに継承し、新たなスタートを切っている

 

テンリュウ堂などで不定期開催される「 まかない食堂OKATTE 」。折山さんの美味しい食を通じて、多様な人が混じり合い、新たなアイデアや事業が生まれたり、新しいつながりが育まれる場になっている


そんな折山さんの取り組みの中で、10/16(水)に開催される「  里山LIFEアカデミーvol.5 」のオンライントークセッションでは、イタリアにて食文化に関する起業家として活躍する齋藤由佳子さんとともに、「里山」×「食の循環」を軸に、3000m級のアルプスによって囲まれた伊那谷という独自の環境で育まれた食文化を読み解き、まだ発見されていないガストロノミーの可能性についてお話しいただきます。 

今回のインタビューではトークセッションに先立ち、折山さんが事業において大事にしている「土に還る」の背景にある想いや、飯田市をはじめとした南信州を舞台に実現させようとしているビジョンについてお聞きしました。 

 

プロフィール:

折山尚美 合同会社nom 代表社員

新潟県に生まれ南信州に移住。病院勤務ののち、ホリスティック医療「スリランカ政府認定アーユルヴェーダインストラクター、プロフェッショナルアドバイザーオブハーブを取得。予防薬としても活用される薬草や野草など使った旅館を経営。 

「土に還る」を事業の主体にし、地域資源の新しい活用提案や空き家・文化財の活用など、関係人口と地域を繋げ役を担っている 。 

合言葉は「ごはんだよー」。地域コミュニティや豊かさや幸福感を食事によって表現している。その中から生まれる様々なアイデアで100年先まで描ける事業を展開する。


「人を“根本”から元気にしたい」

ー折山さんは食のお仕事や商品開発においても、薬草や野草といった「植物」を扱われることが多い印象があります。どのような経緯で植物の力に着目するようになったのでしょうか。 

 

折山:移住してきてからは病院の事務の仕事を10年続けて、その後に自分でカフェ&エステ「fukuume」というお店をはじめました。 

その頃はバリニーズエステという、インドネシアのバリ島で古くから行われている伝統的なトリートメントを提供していました。看護師さんたちは忙しくてみんな疲れていたので、そんな人たちに受けてもらえたらいいなと思って、そのスキルを学んだんです。 

でも、施術した後はリラックスしてもらえても、また同じ状態になって戻ってきてしまう。「これは永遠のサブスクだな」と思って、お金をもらうのが申し訳なくなっちゃって。そういうことがきっかけで、日常的に心身をケアできるハーブの力に興味を持って、勉強するようになりました。 

 

ー対症療法ではなく、もっと根本的なアプローチをしたかったのですね。 

 

折山:そうしないと、こちらが全く満たされないんです。リラクゼーションでも筋肉やリンパの変化は感じられるけど、その施術が本当にその人に合っていて、改善しているのかが値としては見えなくて。 

その後にインド・スリランカ発祥の伝統医療「アーユルヴェーダ(*1)」を学んで、脈診(*2)まで取れるようになりました。 

そうすると脈診でどこのバランスが崩れているかをみて、施術後にそこが整ったかどうかを確認できるようになります。それで私はちょっと安心できるようになりました。  

 

(*1)インドやスリランカの伝統的な医学で、病気の予防や健康の維持を目的とした予防医学。ヨガや呼吸法、ハーブを用いた食事療法などが取り入れられ、一人ひとりの体質に合わせたケアが重視される。

 (*2)手首の脈拍の強さや速さ、拍動の状態などを観察して、身体の状態を診断する方法。 


スリランカで体感した植物の力

ーアユルヴェーダを勉強しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。 

 

折山:病院の事務として、人の力になろうと一生懸命働いていたんですけど、その「病院」という場所で両親を亡くしてしまったことで、西洋医学一辺倒な医療の考え方に疑問を抱くようになってしまって。自分で色々調べて、予防医学にがっと走っちゃったんですね。 

 

実は母を亡くした数ヶ月後に、すごくお世話になったハーブの先生も亡くしていて...。先生のご主人から私に、先生の遺した文献やレシピノートとか、残っていたハーブが全部送られてきて。私が先生にとっての最後の生徒だったので、託してくれたのだと思います。そのいただいた文献の中に、アーユルヴェーダの話があったんです。 

 

それから、まずはスリランカのアーユルヴェーダの大学病院に二週間入院して、どんな変化があるのか自分で人体実験をしてみることにしました。そこでは毎日カウンセリングを受けながら、さまざまなものが処方されるのですが、食事も含めて施術に使われるものは全部植物からできていました。お風呂に入れる植物も自分で取ってきて、すり潰したり煎じたり。ハーブやニンニクを調合して布に包んだ「ハーブボール」を蒸して、温めたものでマッサージしてくれたり。そういうものが全部その人の体調に合わせてつくられています。 

 

ー二週間入院されてみていかがでしたか。 

 

折山:最初の1週間はすごくきつかったです。当時の私は、母と先生を立て続けに亡くした後でボロボロでした。 

そのせいか、みんながやらないような施術も色々受けました。草が入ったむず痒いお風呂に入ったり、苦い毒玉みたいなものを飲まされたり(笑)。 

他のみんなは自由時間にショッピングに出かけたりしていましたが、私はベッドから動けないくらいで。目が開けられないくらい目ヤニも出たし、施術とベッドの往復でした。 

それで二週間が経ってみたら、自分でもショックを受けるくらい「植物にはすごい力がある」と実感しました。化学的な薬は一切使わずに、植物の力と、あとは手技と愛情だけ。それで身体は元気になったし、「ぬるーん」と一皮剥けた感じがしました。心身だけでなく、「想い」が覚醒したような感覚でしたね。 

 

そのときにアーユルヴェーダや植物の力を体感したので、今度はインストラクターになるためにもう一度スリランカに行きました。 

でもそのときは脈診を習うところまで進めなかったので、最終的には日本で教えてもらえる場所を紹介してもらって日本で学びました。


「土に還る」。nomで大事にしていること

ーそんな経験から、折山さんの活動に植物が度々登場するようになったのですね。2023年2月には合同会社nom(以下、nom)を設立されていますが、nomではどんなことに取り組んでいくのでしょうか。 

 

折山:nomでは地域資源を活かした事業をする100人の仲間をつくることを目指しています。1次産業から6次産業まで、全部地域の中で自分たちで完結できるようにしたいですね。それだけこの土地にはいいものがあると思うので。 

会社名は「のむ」と読むのですが、これは私の名前の「尚美=naomi」からとっています。私の両親は「自分のことは二の次、三の次」というくらい、人のために動き回る人たちでした。 

そんな両親をとても尊敬しているので、2人からもらった名前を大事にしたいと思ってこの名前にしました。あと、「nom」という単語には「むしゃむしゃ食べる」という意味もあって、それも可愛いなって。 

 

ーnomでは「表現者のプロデュース」を行うとありますが、表現者とはどのような人たちなのでしょうか。 

 

折山:たとえば大工さんでも、私が関わってる人たちはすごく芸術センスがあるんですよ。それは、この土地の風土や地域性を熟知しているからこそできる技術です。 

彼らを見ていると、新建材を使って“組み立てる”大工さんと「同じ名前ではいけないのでは?」と思ってしまいます。 

もし私がお世話になっている大工さんを沖縄に連れて行って、いきなり「家を建ててください」と言ってもつくれないと思うんです。 

そういった大工さんや、農家さんやいろんな人たちも含めて、土地の表現者たちだなって。「技術を継承しよう」とよく言われますが、本当に継承しなくてはならないのは地域性とか人の想いとか、その土地ならではのものなんじゃないかな。 

昔ながらの技術で建てられた家はごみにならないし、風土にも合っていると思います。だからnomで扱うのは、その土地の風景を繋ぐような文化財の建物や古民家が主ですね。 

私が運営している、古民家を活用した民泊施設「furumachi tei」も、たとえ私が死んでも土に還る素材でできているので何も心配していません。 

 

furumachi teiの離れとして使われている歴史ある蔵

 

ーそういうところから「土に還る」というコンセプトにつながるのですね。 

 

折山:その通りです。建物だけでなく食とかも全部なんですけど、地域の中で循環していく仕組みをつくれたらいいなと思っています。 

食に関してもいろいろな課題があって、今の土壌が荒れてしまっているのは、人間が食べたものを自然に還せていないからだという考えもあるんです。 

みんなが出したものを自然に還せるようになれば、すごく肥沃な土地に戻せるんですよ。 

現状だと難しい部分もありますが、そういうことができるチャンスは、都市ではなく、もう地域にしか残されていないんじゃないかな。 

 

ー建物や食材など、地域の暮らしにもともと当たり前にあったものが、改めて見直されてきている雰囲気は感じます。 

 

折山:以前、「イヌア(INUA)」(*2)というレストランへ行ったことがあります。「ノーマ(noma)」は遠すぎるから、日本でそのお料理が食べられるのはチャンスだと思って。13品で5万円のコース料理でした。 

その最後の2品が驚きで、ご飯で何が出たかというと、蜂の子ご飯だったんですよ。お店の方に聞いてみたら、伊那の蜂の子を使っているそうです。 

伊那って飯田からすごく近いじゃないですか。「これを食べに5万円払って...」と、私はもうショックで(笑)。


で、最後に出たデザートのチーズケーキの周りにはカタバミの葉がついていました。そこらへんにも生えている、酸味のある草です。もう絶句でしたよ。

価値のあるものは私たちのすぐ身近にあったのに、それが見えてなかったんだなって。 

nomではそういうことに目を向けられる仕組みをつくりたくて、たとえば飲み物から新しい文化をつくるようなプロジェクトもはじまっています。

秋の七草ってありますけど、あれをクラフトコーラのような飲み物にできないかなって。

この地域には渋柿の皮とか、菊芋とか、熊の骨とか、自然の資源が持つ健康効果を全財産を注ぎ込んで研究している変わったおじさんとかもいるので、そういった人たちとも協力していきたいですね。 

 

(*2)KADOKAWA初のレストラン事業として2018年6月にオープン。「世界のベストレストラン50」で世界第1位に4度選ばれたコペンハーゲンのレストラン「ノーマ(noma)」とパートナーシップを結び話題を呼ぶ。2021年3月閉店。  


つくりたいのは、かつて当たり前だった“安心”できる場

ー精力的に活動されていつもお忙しそうな折山さんですが、その情熱はどこからきているのでしょうか。 

 

折山:私は自分のためにはそんなに頑張れないから、人のためとか、地域のためだと思って活動しています。今まで関わってくれた、私にとってお父さん、お母さんと呼べる人たちがこの土地にたくさんいるんです。嫁に来た私を受け入れてもらって、お店やいろんなことをやらせてもらって。私はその恩返しをしたいんですね。 

それともう1つ、私にはみんなには見えてないビジョンが見えているんですよ。「こうなったら地域がもっとよくなる」「みんなが幸せになる」というビジョン。それが見えているから、その地域像に向かって走っています。逆に、そのビジョンが描けなくなったらやめようかなと(笑)。 

 

ーそのビジョンが人や地域のためにもなり、折山さん自身の実現したいことでもあるんですね。 

 

折山そうですね。私が育った地域では人が当たり前のように、自然な形で支え合いながら暮らしていました。まさに日本の文化の象徴的な部分だったんじゃないかって今でも思っていて。私はこの場所で、そんなふるさと感のあるコミュニティをつくっていきたいなって。私は全ての人に役割があると思っているから、老人も痴呆の人も障害のある人もいて、全部抱えて集落でいいんじゃないかなと考えています。 

 

人間って親よりも他人から言われたことの方がきくと思いません? だから、家族で育てられることって実は少ないんじゃないかな。生きていると色々と難しいことが起こるわけですが、それを近所のおばあちゃんや近所のお兄ちゃんが支えてくれていた。「コモンズ」とかかっこいい言葉を使わなくたって、そうやって些細なことで助けられてたのがコミュニティであり集落なのだと思います。そんな風に安全で安心できる場をつくっていきたいですね。 

 

執筆:黒岩麻衣 
写真・編集:北埜航太   


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