INTERVIEW
2024/07/10

メンマ、竹炭、豚の飼料…。竹ビジネスを仕掛ける元船頭が語る「水の循環を守るために竹林整備」の深い理由

PROFILE

曽根原宗夫-NPO法人いなだに竹Links 代表理事、純国産メンマプロジェクト代表

長野県飯田市

conomichiと長野県飯田市のコラボレーション企画「里山LIFEアカデミー」。5月11日に開催予定の現地プログラムのガイドを務める曽根原宗夫さん中心に、竹林整備のネットワークは全国に広がりつつあります。

長野県飯田市の観光を代表する、天竜川の舟下り。曽根原宗夫さんは、この舟下りにおいて舵取りの役割を担う船頭を20年以上経験し、そのなかで溪谷の景観を損なうゴミの不法投棄という課題を解消するべくゴミの撤去作業を始めます。さらに不法投棄の根本的な原因に竹害があることを突きとめ、竹林整備をスタート。ついには船頭から竹林整備や竹の活用を主な事業とする「NPO法人いなだに竹Links」の活動へと舵を切り、現在は一年を通して竹と向き合う日々を送っています。
 

「里山LIFEアカデミーvol.1」のオンライントークセッションでは、船頭として働いていた曽根原さんが竹林整備に取り組むことになった経緯について語っていただきましたが、今回のインタビューでは、竹林整備を通して曽根原さんが目指していること、竹林整備やメンマ作りの具体的な内容などを中心にお話を伺いました。

「里山LIFEアカデミーVol.1」イベントレポートはこちら


曽根原宗夫さん:小中高と飯田市で育ち、バンド活動のため上京。個人事業主として軽貨物運送業を営みながら、ロックの聖地・イギリスに滞在するなど音楽活動を続けていたが、子どもの誕生をきっかけに飯田市へUターン。天竜川舟下りの仕事に就き、現在は「NPO法人いなだに竹Links」代表理事、「純国産メンマプロジェクト」代表を務めている。竹林整備の傍ら「飯田チンドン研究会」での活動も始めた。

船頭の仕事に就いたのは“自然相手の仕事”だったから

「里山LIFEアカデミーvol.1」のオンライントークセッションで、「天竜川の船頭になろうと飯田に戻ってきた」とおっしゃってましたが、そのときにどのような心境の変化があって、Uターンを決意されたのですか。


曽根原:ちょうど息子が生まれたときだったんですよ。生後8か月で走り回るような子で(笑)。当時は千葉県の市川市っていう車の通りが激しいところに住んでいたので、都会で子育てしていたら危ないだろうなと直感で思ったんですよね。山奥で山猿のように育てていかないとまずんじゃないかって。どうせ田舎に身を置いて暮らすんだったら、自然相手の仕事がしたいなって思って、船頭の仕事を選びました。


当時、飯田には舟下りの会社が2社あったんですけど、自分は江戸時代からのスタンスでやっている、エンジン無しの舟を扱う会社のほうに入りました。入ったときは33歳で、「30過ぎてから船頭の業界に入った人間は絶対に艫(とも)乗り※にはなれないから、そのつもりで」と言われました。でもどうしても諦めたくなかった。だから最初はひたすら色んなことをやったんです。そのうち徐々に認められて、舵取りを任されるようになって、船頭として一人前になることができました。なんだかんだで、5~6年はかかりましたね。
 

※船尾に立って、舟を操縦する人のこと。
 

そして舵取りとしてお客を案内するなかでゴミの不法投棄に気づき、竹林整備へ繋がっていくと……。伐採後の竹を活用するために竹いかだを作ったというのも、船頭ならではの発想ですよね。


曽根原:元々舟下りは、このあたりの材木を遠州灘(※)まで流す、いかだ流しがルーツなんです。ちなみにいかだの漢字、知ってます?「竹」かんむりに「伐」って書くんですよ。それで「いかだを組んだらおもしろいんじゃないか?」と思って実際にやってみたという感じです。

※天竜川が流れ込んでいる海域。静岡県の御前崎から伊良湖岬までの海岸や沖合を指す。
 


一年の大半を竹林整備に費やす日々

ここからは、曽根原さんの現在の活動について伺います。一年間は、具体的にどのような流れで動いてらっしゃるのですか。
 

曽根原:4月中旬から5月の終わりくらいまでは、孟宗竹(モウソウチク)のメンマ「いなちく」の収獲と加工がずっと続きます。それが終わって、7月の頭からは竹林整備ですね。合間で竜丘小学校のカリキュラム事業や講習会がポツポツ入ったりしますけど、夏から秋はほとんどが竹林整備ですね。冬も、雪が降っていなければ竹林整備をしています。
 

メンマを作っている時期以外は、ほぼ竹林整備なのですね。たとえば竹林整備をする日のスケジュールは、どのような感じなのですか。


曽根原:7月や8月は、朝の4時くらいから竹林整備を始めて、4月中旬から5月の終わりくらいまでは、孟宗竹(モウソウチク)のメンマ「いなちく」の収獲と加工がずっと続きます。それが終わって、7月の頭からは竹林整備ですね。合間で竜丘小学校のカリキュラム事業や講習会がポツポツ入ったりしますけど、夏から秋はほとんどが竹林整備ですね。冬も、雪が降っていなければ竹林整備をしています。12時ぐらいで切り上げます。お天道様や気温を見て自分の体力に合う時間帯で動かないと、倒れちゃいますから。冬になってくると、9時開始で5時終了といったスケジュールになります。


農家さんと同じような動き方なのですね。整備はどのような場所で?


曽根原:基本的に伊那谷内ですね。自分たちの竹林はひとつも持っていないので、行政や民間から「ここの竹林を整備してほしい」と委託されたところを整備しています。まず委託者が将来的にどういう形に持って行きたいかを聞いて、それに合わせた整備をしていますね。とはいえ、伊那谷に絞っても、まだ数%しか手がつけられていません。自分たちの足元の竹林をまずはしっかり整備していって、伊那谷の事例を参考に他のエリアでもそれぞれに取り組む人が出てくるといいなと思って活動しています。


竹林整備で伐った竹は、メンマにも使ってらっしゃるんですよね。竹を活用する手段としてメンマに着目したのはなぜなのでしょうか。


曽根原:メンマを小規模で生産することは、この地域の人にとってメリットがあるという思いがひとつあって。なぜなら、伊那谷の特徴として漬物樽など塩漬けにする道具は全部持っているんです。冬場に野沢菜を漬けたりたくあんを漬けたりしているけど、春になると食べ終わるので洗って伏せてあるんですよ。その樽を使って、湯がいたタケノコを入れて塩漬けにしておけばいい。つまり伊那谷ではメンマを生産するのに新しい設備投資はいらない。半年かけてメンマを食べ終わったら、また野沢菜を漬ければいいわけです。それに、孟宗竹はもともと食べ物として中国から日本にわたってきたので、食べて整備するというのは良い流れなんですよ。
 

なるほど、それは理にかなってますね。ちなみにメンマって、どのような工程で作るのか教えていただけますか。


曽根原:切れ味の悪い鎌でもサクっと刈れるようなやわらかい幼竹を収獲して、加工場まで持っていき、皮を剥いで、節を抜いて、カットしたら一時間ほど湯がきます。40~45分くらい経つと、うちらは“バンブーダイヤモンド”って呼んでいるんですけど、すごく綺麗な色になるんですよ!いい茹で具合になったらザーっと湯から上げて、洗浄して計って樽に入れて、塩漬けをしたら終了です。


収獲したものはその日のうちに全部塩漬けまでやらないとダメ。なぜなら空気に触れる時間が増えるほど、エグみが出てしまうからです。だから日によっては、全てのタケノコを塩漬けするのに夜の12時までかかることもありますよ。
 


竹林整備やメンマ作りの本当の目的は「水の循環」を守ること

竹林整備もメンマ作りも、地道な作業の連続だとわかりました。“自然相手の仕事”という意味では、船頭とあまり変わっていないのかもしれませんが、曽根原さんがこの活動を継続するうえでのモチベーションは、どういった部分にあるのですか。
 

曽根原:船頭のとき、四六時中水の上にいたからこそだと思うんですけど、一番大事なのは「水の循環」だと思っているんですよ。天竜川の水は静岡県に流れていて、静岡県の人たちは水道からその水を飲んでいる。さらにその水は海に流れ、太陽に照らされて雲になり、山に当たって雨になる。そして山に降り注ぎ、天竜川に注ぎ込んでいる。


だからこそ子どもたちにも「水はずっと回っているから、自分たちが住んでいるところよりも上流域というのを意識して暮らしてほしい」ということを伝えています。
 


やっぱり船頭の経験が、水の循環をより意識するきっかけになったわけですね。つまり竹林整備や竹の活用を進めることは、水の循環を守ることに繋がるということ?


曽根原:そうです。里山に竹の面積が増え過ぎてしまうと、水を蓄えておけないし、土砂崩れが起きやすくなります。竹って実は40㎝くらいしか根っこがないんですよ。一方で広葉樹は20mの高さの木であれば根っこも20mまで伸びている。竹が隙間なく生えると広葉樹も針葉樹も光合成ができなくなって、みんな倒れてしまう。そうすると雨が降ってもろ過されず、土が窒息状態になってしまいます。


だからこそ、多くの人に竹林整備に手を出してほしい。そのために、竹いかだ、メンマ、竹ボイラーで沸かしたお風呂といった「楽しい、おいしい、暖かい」と感じてもらえる体験の場を、一生懸命に延々と提案し続けています。自分たちのテーマはあくまで水であって、それを守るための手段が竹なんです。
 


竹パウダー、竹いかだ……。飯田の新名物を構想中⁉

曽根原さんは「純国産メンマプロジェクト」という全国組織の代表も務めてらっしゃいますが、この組織ではどんな活動をしていますか。


曽根原:いまメンバーが36都府県にまで広がっていて、横に繋がって情報を共有しながら進めているプロジェクトです。メンマだけでなく、竹炭、竹ひご、竹いかだなど、竹を資源化して活動を継続していこうという趣旨で。

副代表の2人もメンマを作っていなくて、ひとりは竹を使った薪ストーブとか無煙炭化器を作っているし、もうひとりは養殖カキのカキ棚を竹で作っています。竹の活用も、その地域に合ったものが絶対にあるはず。


竹の活用にも、いろんな方法があるのですね。曽根原さんがメンマ以外で今後やろうとしていることは?


曽根原:竹炭と……あとは竹パウダーですね。生の竹をパウダーにして豚の飼料に。竹には乳酸菌が含まれているので、パウダーにして豚に食べさせれば、腸内環境が良くなって養豚場の臭いも軽減されるはずです。肉の質も絶対に良くなる。そうやって相乗効果で改善させていくことを、今シーズンからチャレンジしていきたいと思っています。

飯田市って“焼肉の街”を推してるじゃないですか。竹パウダーを食べて育ったおいしい豚肉を焼肉で食べられるようになれば、飯田市の焼肉文化にストーリーが加わりますよね。


あとは、竹いかだかな。舟よりよっぽど難しいけど、ものすごく楽しいんですよ。水を守るために船頭から今の暮らしにシフトしたけど、いつでもまた船頭をやりたいと思っています。ゆくゆくは、いなだに竹Linksとして竹いかだを体験プランとしてやりたいですね。

船頭だったとき、旅行商品として作っていましたから。鵞流峡まで舟で下って竹を伐って、舟に竹を積んで下の港まで行ったらトラックに積んで上流まで運んで、自分が乗るいかだをそこで組んで下っていくという。その後は、竹ボイラーで沸かしたお風呂に入ると。


それは最高のプランですね!舟下りに次ぐ飯田の名物アクティビティになりそう。ぜひいつか、体験してみたいです。


(後書き)

ゴミの不法投棄から端を発し、放置竹林、水の循環と、常に課題を突き詰めて行動し続けている曽根原さん。そんな曽根原さんの「気づく力」と「楽しむ力」が課題さえもおもしろくし、それが結果的にまわりの人々を惹きつけているのだと感じました。

里山LIFEアカデミーでも体験イベントを企画していきます(5月11日のイベントはおかげさまで満員御礼となりました)。ぜひ一度曽根原さんたちの竹林整備イベントにも参加してみてはいかがでしょうか。

執筆・写真:松元麻希
編集:北埜航太


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