INTERVIEW
2024/04/04

皆様と、安祥寺を再び人々の “心を照らす”お寺にしていきたい。

PROFILE

藤田瞬央住職 - 真言宗 吉祥山宝塔院 安祥寺 第六十六世

京都府京都市

JR東海の「推し旅」では2022年度に実際に安祥寺を訪れて、復興プロジェクトに参画いただく「復興衆」を募集しました。単にご志納を納めるのではなく、作務にもご参加いただくという、歴史ある古刹を未来へとつないでいく、復興プロジェクトです。

京都の山科にある安祥寺は、開基は弘法大師の孫弟子の恵運(えうん)。
平安時代の848年(嘉祥元年)の創建以来、かつては山科一帯に広大な寺域を有し、上・下両所の大伽藍には700余の坊舎があったと伝えられる古刹です。しかし約1200年の歴史の流れのなかで荒廃し、規模を小さくしながらも現在まで、幾つかの貴重な仏像をひっそりと守り伝え、歴史を積み重ねてきました。
 

2018年、新住職になり「これでは“寺”本来の役目をはたしていない、多くの人が集える寺にしていければ」と立ち上がられた藤田住職に「安祥寺 古刹復興プロジェクト」の目指すことをお伺いしました。


―安祥寺は、普段は非公開です。近年特別拝観で公開された際は、多くの参拝者が訪れましたが、なぜ特別公開を始めたのでしょうか?


藤田瞬央住職:2018年に私が住職になった時は、致し方ない理由もあり、庭などの手入れができておらず、とてもではありませんが、皆さまに参拝していただける状態ではありませんでした。
ですが、安祥寺には「本尊 十一面観音菩薩」(重文)をはじめとした貴重な文化的遺産が数多く残されています。


私は、文化財を持つ寺には、これらを健全に後世に伝えていくと同時に、「多くの方々に見ていただく」という務めもあると考えています。ただ朽ち果てさせていくわけにはいきません。
 

そこで、まずは皆さまが安心して寺にお参りいただけるようにしようと、少しずつでも整備をしていくと決めたのです。

2021年11月には、その整備計画の第一弾ともいうべき「鎮守 青龍社(青龍大権現御宝殿)」の修復が終わり、「修復落慶法会」が行われました。
 

藤田瞬央住職:青龍社は安祥寺発祥の原点であり聖域なので、修復、整備もここから始めることにしました。
整備を始めた頃は、御堂の近くまでお参りすることが難しいほど参道周辺が荒れた状態だったのですが、約2年かけて、修復と周辺の整備をすることができました。
青龍社が修復できたことで、ようやく皆さまに寺を見ていただくための「第一歩」を踏み出せたと感じています。



―2022年5月のプロジェクトでは、参加する方々に、“復興衆”としてその青龍社の周りに苔植を行ない、育っていく様子を見守っていくという役割を担っていただきました。


藤田瞬央住職:青龍社の御神体である「蟠龍石柱」(現在は京都国立博物館寄託)にならい、社の両脇に龍に見立てた形に、苔を植えていただきました。周りの森は深いですが、青龍社の真上は、木々の枝が途切れていて、空が見えるので、そこに向かって龍が昇っていくイメージです。


 


―一般の人々が、寺の境内で実際に手を動かして苔などを植えて育てる体験ができる、とても貴重な機会です。2022年5月のプロジェクトを行なったのは、どういった思いがあってのことでしょう。
 

藤田瞬央住職:確かに、境内の清掃などの奉仕作業や、写経などの宗教的体験をしていただくことはありますが、復興プロジェクトのように寺の整備そのものに関わっていただくことは、私の知る限り他ではあまり行われていない試みです。
青龍社の修復ができたタイミングで、皆さまにお手伝いをしていただこうという思いに至ったのは、そういった作業を通して、深く継続的に関わっていただくことで、安祥寺のことを「好き」になっていただきたいという思いと、皆さまのお力添えをいただいて、安祥寺が本来あるべき「お寺」になっていければという思い。
そのふたつがあってのことです。
 


―ご住職のお考えになる「お寺」のあるべき姿とはどのようなものでしょうか。
 

藤田瞬央住職:「寺(てら)」の語源は「照らす」だ、という学説がありますが、私も寺は人々の心に光を照らす存在であり続けてきたのでは、と考えています。
 

境内を参拝して、仏様の姿に慈悲や寛容、優しさを感じ、命のありがたさに思いを馳せ、何かしらの学びを得る。
そんな場所だったからこそ、「お寺」には古来、人々が自然に集って、大事にされてきたのではないかと思うのです。


安祥寺には1200年に及ぶ歴史があります。時代による栄枯盛衰はありましたが、貴重な仏像や建造物をはじめとするすべてのものは、過去から未来へつながるお寺の「命」としてここまで残されてきました。
僧侶のみならず、寺に関わる多くの方々のお力添えで守られてきたそれらを、未来に向かって引き継いでいくためにも、今を生きる私たちが、未来永劫続いていくような「これからの安祥寺」を作っていかなければ、という思いが強くあります。そう考えた際、今、申し上げたような「みんなのためにあるお寺」が、目指すべき、あるべき姿として浮かんできます。


 


―安祥寺の復興計画は、今後どのように展開されていくおつもりでしょう。
 

藤田瞬央住職:堂塔伽藍があってこそ、災難や困難を取り除き、皆を照らす「寺」となります。
そのためにも、地蔵堂や大師堂といった建造物や、そこに置かれる仏像なども修復しつつ、整備していければと思っています。
さらに言えば、明治時代に焼失した多宝塔を再建して、そこの本尊である「五智如来坐像」(注:国宝。現在は京都国立博物館寄託)を再びお迎えして、本来の安祥寺の姿に復興させたい、という思いも持っています。
もちろん、時間も手間もかかる計画ですが、実現に向けて動いていけたらと考えています。
 


―そのような「お寺」の未来を作っていくプロジェクトの一環として、「古刹復興プロジェクト」をとらえると、参加する心構えも変わってきそうです。
 

藤田瞬央住職:苔植や植栽なども、仏様や御堂をより際立たさせていくためのものと考えています。
花見や紅葉のライトアップなど見た目のきれいさだけなら、お寺じゃなくて公園でも良くなります。
 

以前の復興プロジェクトで、桜の木を植えていただいた時も「ここに桜があれば青龍社がより引き立つのでは」というご意見を、ある方からいただいたことで決めました。
「お寺」としての本分を守っていくことを第一義に、整備を進めていけたらと思っています。
 


―境内で作業をすることで、どのような体験をしてもらいたいとお考えでしょうか。
 

藤田瞬央住職:「虚(むな)しく往(い)きて実(み)ちて帰る」という言葉があります。これは弘法大師が唐に留学し、20年はかかるとされていた密教の学びを、わずか2年で修め、帰国した際におっしゃった言葉です。
ここで言う虚しいとは、空っぽの状態のことを指します。つまり「行くときは空っぽの心で行ったが、帰るときには充実し、満足することができた」という意味です。
 

参加していただく方々には、先入観のない「空(くう)」の状態で寺にお越しいただき、汗を流して一心に作業をしていただくことで、様々なものに向き合い、何かを受け止められることになるでしょう。
そこで得るものは、必ずしも形あるものではないかもしれません。「こう感じてほしい」という思いも、私にはありません。
ただ、寺で過ごした時間で得た「何か」で心を満たして、日常の暮らしへと帰っていく。この「虚往実帰(きょおうじっき)」を、参加した皆さまが体験していただければ、と願っています。


―これまでプロジェクトに参加した方々は、除夜の鐘つきや、植栽など何度かにわたり、安祥寺を訪問することができるようになっていましたが、一度ではなく、継続的に安祥寺に赴く仕組みにしたのはなぜでしょうか?
 

藤田瞬央住職:ここに何度か足を運んでいただきたいのは、体験が終われば関係も終わりではなく、これまでとは異なる「お寺」との距離感や関係性にしたいと思っています。ご自身が植えた苔や木の育ち具合も見守りつつ、何度も、何年後も足を運んでいただければと思います。
そして、ここで過ごしたひとときで、何をお感じになったか、お聞かせいただきたい。私たちもそこから様々に学んでいきたいのです。安祥寺を、集ってくる人々の心の内を照らし、それぞれが学びを得ることのできる「照らすお寺」にしていけたらと考えています。ぜひ、お力添えいただければと願っております。
 


■お話を伺った方
真言宗 吉祥山宝塔院 安祥寺
第六十六世 藤田瞬央住職


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