お気に入りを解除しますか?
☆大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」の予習に! 粋」で「いなせ」な男たちを見出した“蔦重”が江戸を駆け抜ける! 江戸文化を壮大に演出した多才な蔦重の人物像に迫る。 江戸・中期(安永・天明から文化・文政にかけて)の文化の担い手となった北斎、広重、歌麿、写楽……これらの傑作を数多く世に仕掛けたのが「蔦重」こと蔦屋重三郎(1750~1797年)だ。彼は、浮世絵だけでなく、戯作に ・採用人事で男性に優位な判定を下すも目を向けたことでも知られる。狂歌の大家だった太田南畝と交友関係を結び、戯作者の山東京伝や、滝沢馬琴らを育てるなどし、〝江戸中期の文化の中心的担い手〟となった。 本書はその多才かつ波瀾万丈な人生を、「遊郭案内仕掛人」「文芸仕掛人」「新分野仕掛人」「浮世絵仕掛人」など、〝江戸の仕掛人〟としての10の観点からその人物像に迫っていくもの。 <本書の目次> 子 江戸の仕掛人 まじめなる口上 丑 遊郭案内仕掛人 〝吉原の申し子〟蔦重の「吉原細見」 寅 文芸仕掛人 〝多芸多才(エレキテル)〟平賀源内に痺れた蔦重 卯 多彩人脈仕掛人 〝人材発掘の名手〟はスポンサー 辰 新分野(ジャンル)仕掛人 「黄表紙」で大躍進の〝歩く広告塔〟 巳 流行仕掛人 「狂歌ブーム」の〝トレンド・クリエーター〟 午 権力と戦う仕掛人 〝コラボの達人〟の天国と地獄 未 浮世絵仕掛人 〝世界のウタマロ〟の光と影 申 大首絵仕掛人 起死回生の〝隠し玉〟写楽の謎と真実 酉 未来仕掛人 〝べらぼうな遺志〟を継ぐ 戌 鎮魂仕掛人 〝出版界の革命児〟の死に至る病 亥 令和の似非(えせ)仕掛人 「跋」に名を借りた〝逃げ口上〟 <まえがきより抜粋> これから皆々様にお披露目いたしまするは、江戸中期を疾風怒涛の勢いで天馬のように駆け抜けた痛快無比な〝稀代の快男児〟の物語であります。 男の名は蔦屋重三郎。人呼んで〝蔦重〟、本屋の重三郎、縮めて〝本重〟と呼ぶ人もおりましたが、元禄文化の中心地となった上方風にいえば「ツタやん」でございますが、蔦重はその時代には生きておりません。井原西鶴や近松門左衛門らが活躍した元禄時代は1668年から1704年まででありますが、蔦重がこの世に生を受けたのは1750(寛延3)年正月7日。元禄より半世紀も後なのでございます。 (中略) しかし、天は二物を与えませんで、蔦重の生涯は48年という短いものでありました。元号で申せば、明和、安永、天明、寛政、享和、文化、文政、天保と移り変わった8つの時代を早足に生き急いだのでございますが、その足跡たるや、驚き、桃ノ木、山椒の木どころではありません。 これぞまさしく縦横無尽の大活躍と申すべきで、今では電通もしっぽを巻く〝江戸文化の仕掛人〟との評価が定まっているのでございます。 そんな蔦重、東映映画で片岡千恵蔵や小林旭が七変化を演じた名探偵多羅尾伴内のセリフ風にいえば、「あるときはトレンド・クリエーター、あるときは敏腕プロデューサー、あるときは逸材発掘人兼スポンサー、またあるときは歩く広告塔、あるときはコラボの達人、またあるときは出版界の革命児、そしてまたあるときはヒットメーカー、しかしてその実態は、誠意と革命の人、蔦屋重三郎」でございまして、もっと具体的に申しますと、多羅尾伴内も顔負けの、〝7つの顔〟があったのでございます。 (以下略)