#35

日本の歴史に名を残す、飛騨匠の技と心

伏見 七夫さん 飛騨地域地場産業振興センター 専務理事

地場産業を盛り上げるための拠点、地元のコミュニティと文化創造を活性化させる場所など、さまざまな機能をもつ施設で一つひとつの業務を大切に遂行していく人。それが、伏見さんです。

  • Q.
    幼い頃から、地元で暮らしているのですか?
    A.
    出身地は上之保村(現関市上之保)、高校は岐阜市、大学は北海道です。産業動物の獣医師を志していた学生時代に、御嶽山継子岳の麓に広がる千町牧場と出会い、山と草原の雄大さに感激して卒業後に高根村(現高山市高根町)に就職しました。

  • Q.
    地元の雰囲気はいかがですか?
    A.
    “飛騨”という地名の由来は、一説によると山々が幾重にも連なって襞(ひだ)のように見えるからだといいます。そのことからも、昔から山が多くいい材質の木が豊富であったこと、杣人(そまびと)や木工技術者がたくさんいたことが想像できますね。

  • Q.
    伏見さんのお気に入りはなんでしょうか?
    A.
    飛騨の自然や歴史に育まれた、「飛騨の匠」です。その歴史は、奈良時代にまで遡ります。大宝元年(701)に制定された“大宝律令”は、日本最古の法律と中学で習いましたよね?その中に“飛騨工制度”があり、飛騨の優れた匠の技を中央政府が都の造営に活用するもので、その代わりに税を免じました。全国で唯一、飛騨だけの制度で毎年100人ほど飛騨の木工技術者が都の造営に駆りだされ、平安時代の末期ころまでの約500年間に渡り、総勢約5万人が都の造営に携わりました。 “大宝律令”が制定された時代から、中央政府は飛騨人の優秀な建築技術を認めていたのです。

  • Q.
    どこに惹かれますか?
    A.
    飛騨人だからこその、匠の仕事ぶりや気質でしょうか。そういえば、日本最古の歌集「万葉集」の第11巻に飛騨人を詠んだ恋歌があります。“かにかくに 物は思はじ 飛騨人の 打つ墨縄の ただ一道に”という歌です。訳すと、“あれやこれやと思ったりしません。飛騨人の打つ墨縄のように、ただ一筋に真っすぐあなたを思っています”となるのですが、飛騨人の人柄がよく表されていると思いませんか?

  • Q.
    お話を聞くほど、飛騨匠の凄さが伝わってきます。
    A.
    1300年にもおよぶ飛騨匠の技と心は、現代まで脈々と受け継がれ市内に残る建築物や伝統工芸とともに市民の生活のよりどころとなっています。私が所属している飛騨地域地場産業振興センターでも、伝統的工芸品やものづくりの作品を紹介し、飛騨匠の技と心を後世に繋ぐお手伝いをしていますよ。そういった地域の特色や活動のおかげもあってか、「飛騨匠の技・こころー木とともに、今に引き継ぐ1300年ー」は、平成28年に日本遺産に認定されました。機会があれば、伝統的な技を現代の作風で表現した「第1回ものづくり展」も開催されていますので、ぜひお越しください。

  • Q.
    どのような作品が、展示されているのですか?
    A.
    さまざまな作品が展示されていますが、その中には子どもに人気のあるユーモラスな作品もあります。

  • Q.
    HC85系のデビューを、個人的にどう思われますか?
    A.
    昭和53年、8月のことです。私は、岐阜駅から高山線に乗り久々野駅に降り立ちました。学生時代だったので、お金はなくても時間はあり鈍行列車に揺られての旅でしたね。心細くなるくらい山間地を縫って走る列車の中で、まだ見ぬ世界へと心馳せていました。そして、令和4年の7月。出張で、新型車両の「HC85系」に乗って名古屋へ。車内は静かで揺れも少なく、昔の乗車中のことを振り返ると物足りないと思えるほど快適でしたね。ただ車窓から見える飛騨川沿いの光景は昔と変わらず、列車は私を目的地へと運んでくれました。新型車両には伝統的工芸品の展示もありましたので、ローカル線の旅情の一つとなることでしょう。

    ※2022年12月時の情報です。

PICK UP

飛騨地域地場産業振興センター

上述した飛騨匠を後世に伝える活動を含め、飛騨地域における地場産業振興のための事業を行うことにより、地域産業の健全な育成および発展に貢献し、地域経済に新しい活力をもたらす活動を行っています。

※撮影時のみマスクを外しています